わずか六歳で会津(あいづ)から江戸へ出た山鹿素行は、七歳のときに、幕府学問所の大学頭(だいがくのかみ)だった …
投稿者: MINAMI HARUO HP
第2章大石内蔵助 「赤穂の武士道」を作った大学者①
思えば、藩祖の長直が塩作りの事業を始めたのも、長矩が刃傷事件を起こしたのも、そして内蔵助が討ち入りを敢行した …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」⑦
そして討ち入り決行を宣言した評定で、内蔵助は同志を前にこう語りました。 「もしや勅勘(ちょくかん)(帝のお …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」⑥
その間に内蔵助は、世の中が赤穂藩をどう見ているかということにも気を配っていました。自分たちが仇討ちを成し遂げ …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」⑤
多くの脱落者の中に一人だけ、自分を許せずに自ら命を絶(た)った者がいました。主君の刃傷事件を最初に赤穂へ伝え …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」④
したがって内蔵助には、脱落者を恨んだり責めたりする気持ちなどは少しもありませんでした。 内蔵助が祇園(ぎお …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」③
だから討ち入りに加わるのは、本当にその行動の意味を理解している者だけでいい。たとえ人数は少なくとも、同じ信念 …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」②
内蔵助がいちばん心を砕(くだ)いたのは、討ち入り決行までに鉄の結束の集団を作り上げることでした。広く天下に問 …
第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」①
不条理な政道への批判を世の中に知ってもらいたい・・・・・・この目的のために、内蔵助は討ち入りまで長い準備期間 …
第2章大石内蔵助 赤穂の命は塩作り⑧
これで三右衛門は無罪放免。そればかりか内蔵助は六人の専門家を仙台藩に派遣し、塩作りの指導にあたらせました。 …
コメントを投稿するにはログインしてください。