第2章大石内蔵助 「赤穂の武士道」を作った大学者①

 思えば、藩祖の長直が塩作りの事業を始めたのも、長矩が刃傷事件を起こしたのも、そして内蔵助が討ち入りを敢行したのも、すべては彼らの「公」を大切にする精神がもたらしたもの。それが彼らの武士道であり、赤穂藩は最初から最後までそれを貫(つらぬ)き通したことになります。

 この赤穂藩の姿勢は、ある一人の学者の思想に裏打ちされたものでした。その思想を抜きにして、赤穂を語ることはできません。もっと言えば、それは後に明治維新にまでつながる思想であったのです。

 その学者とは、歴史・政治・軍学の第一人者山鹿素行(やまがそこう)です。人間教育を大切にした浅野長直がこの大学者に目を向けていなかったら、「忠臣蔵」の物語はなかったかもしれません。


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