したがって内蔵助には、脱落者を恨んだり責めたりする気持ちなどは少しもありませんでした。
内蔵助が祇園(ぎおん)で遊びほうけていたのも、覚悟の定まっていない者が遠慮なく脱落していけるようにするためでもあり、信念を見極めさせる試金石でもありました。敵を欺(あざむ)くには、まず味方から。討ち入りのことなど忘れたかのように、京都祇園で遊んでいる内蔵助の真意を見抜けず、「ああ、統領はもう仇討ちする気がないんだ」と思った者は、どんどん脱落していきます。心の内では命が惜しいと思いながら、成り行きに流されていた人は、リーダーが腑抜(ふぬ)けのようになっているのを見てホッと胸を撫(な)で下ろしたに違いありません。こうして、最初は百二十人以上いた同志は最終的に四十七人にまで減っていったのです。
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