第2章大石内蔵助 赤穂の命は塩作り⑧

 これで三右衛門は無罪放免。そればかりか内蔵助は六人の専門家を仙台藩に派遣し、塩作りの指導にあたらせました。

 何という心の広さでしょう。赤穂藩がただお金儲けのためだけに塩作りに励(はげ)んでいたわけではないことが、よく分かります。こういう精神が根付いているのですから、吉良家と浅野家とのあいだで塩をめぐる争いなどあったわけがありません。

 このときの恩義を、仙台藩の人々は二十年たってもけっして忘れませんでした。だからこそ、討ち入りを終えた赤穂浪士にどうして朝粥を食べてもらいたかった。ましてや一行の中には最大の恩人である大石内蔵助もいたのですから、感慨もひとしおだったことでしょうね。


【コメント】

次回からは、討ち入り準備期間のお話に入ります。
少しお休みを戴きまして、5月13日(金)に更新いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。