そして討ち入り決行を宣言した評定で、内蔵助は同志を前にこう語りました。
「もしや勅勘(ちょくかん)(帝のお怒り)を被(こうむ)る身とならば、我ら一同とて日本国中に身の置きどころなき浪人となるでございましょう。それが帝のお言葉で救われました。かくなる上は、いずくを憚(はばか)り、いずくを恐れるところもない。力を合わせて吉良上野介を討つことでござる。また二つには、幕閣につながる人々の悪政は限りを知らずも、当・五代将軍御世(みよ)において、取り潰し改易(かいえき)となったる大小四十八頭、合わせて二百七十一万四千石を幕府の手に取り上げ、三万有余人の我らと同じ浪人を生むに至ったのじゃ。よいか、おのおの方、我らが吉良を討つことは幕閣の只中(ただなか)に厳しい批判の一矢(いっし)を報(むく)いることじゃ!」
【コメント】
赤穂浪士の討ち入りは、ただの仇討ちではなかったということですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。