第2章大石内蔵助 「鉄石の集団」①

 不条理な政道への批判を世の中に知ってもらいたい・・・・・・この目的のために、内蔵助は討ち入りまで長い準備期間をおきました。

 松の廊下の刃傷事件が起きたのが、元禄十四年(一七〇一)三月十四日。それから翌年十二月十四日の吉良邸討ち入りまで、一年十ヶ月もかけています(元禄十五年は閏(うるう)年のため、八月が二回ありました)。

 それだけ時間がかかったのは、もちろん、討ち入りを計画する一方で、浅野家再興への希望を失っていなかったという事情もあったでしょう。しかし、たとえその望みがもっと早く断たれていたとしても、討ち入りの機が熟すまでにはかなりの時間が必要だったと思われます。


【コメント】

本日から、討ち入りへの準備についてのお話となります。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。