こうして直接交渉を進める一方、海舟はその前に江戸中を走り回って手を打っていました。彼が江戸総攻撃への対抗手段 …
第3章・勝海舟 「江戸総攻撃を食い止めた捨て身の作戦」④
慶応四年(一八六八)三月上旬、江戸の街は緊張感を高めていました。すでに多摩川(たま)を越えた新政府軍が、三月 …
第3章・勝海舟 「江戸総攻撃を食い止めた捨て身の作戦」③
幕府軍の劣勢が明らかになってきたころ、勝さんのところには外国の公使たちが盛んに「金を貸すから使ってくれ」と申 …
第3章・勝海舟 「江戸総攻撃を食い止めた捨て身の作戦」②
勝海舟の幕の引き方は、まさに曾祖父の言葉を実践したものでした。恨みを残さずに、徳を残す。米山検校の言葉を、海 …
第3章・勝海舟 「江戸総攻撃を食い止めた捨て身の作戦」①
米山検校の仕事が一代で終わったことで、多くの貸付金が棒引きになりました。その中には、水戸家に貸したお金も含ま …
第3章・勝海舟 「美田を残さなかった曾祖父」⑧
「おまえたちは、昔の苦しい時代を忘れたか。貧しい時代を思ったら、今の豊かな暮らしに感謝しなけりゃならない。そ …
第3章・勝海舟 「美田を残さなかった曾祖父」⑦
米山検校はそれ以外にも、越後の高田に鍼灸術(しんきゅうじゅつ)の学校を作ったりしているのですが、何より立派だ …
第3章・勝海舟 「美田を残さなかった曾祖父」⑥
検校というと悪どい高利貸しのイメージもありますが、米山検校は違います。利益を世の中に還元することを忘れません …
第3章・勝海舟 「美田を残さなかった曾祖父」⑤
幕府が盲人に金貸し業を許可したのも、今風に言えば福祉政策の一環です。「官金貸付」という判を証文に押したそうで …
第3章・勝海舟 「美田を残さなかった曾祖父」④
ちなみに座頭とか検校というのは、盲人に与えられた官名のこと。話は少し逸(そ)れますが、いまのような人権概念こ …
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