江戸から赤穂までは、およそ百五十五里。江戸で赤穂藩の使者を乗せた早駕籠(はやかご)は、宿場宿場でバトンタッチ …
第2章大石内蔵助 赤穂の命は塩作り②
そうやって築いていた信頼関係が、思わぬところで生きました。大切な情報が、ふつうでは考えられないほど早く、江戸 …
第2章大石内蔵助 赤穂の命は塩作り①
この藩祖を、赤穂の人々が尊敬しないわけはありません。 赤穂藩にとっての命は塩作り。彼らは長矩の代になっても、そ …
第2章大石内蔵助 日本第一の先進国⑥
長直の作った水道は実に見事なものでした。赤穂の水道は、江戸の玉川(たまがわ)上水、備後(びんご)の福山水道と …
第2章大石内蔵助 日本第一の先進国⑤
長直の業績はそれだけではありません。赤穂藩主となった後、塩田開拓を進める一方で、水道事業にも着手したのです。 …
第2章大石内蔵助 日本第一の先進国④
そこで浅野長直に白羽の矢が立てられたのは、その父・長重(ながしげ)の代から浅野家が塩作りの専門家として知られ …
第2章大石内蔵助 日本第一の先進国③
赤穂では平安時代から塩作りが始まっていましたが、それを大規模な事業として成功させたのは、藩祖の浅野長直です。 …
第2章大石内蔵助 日本第一の先進国②
塩は赤穂藩最大の収入源であると同時に、誇りの源(みなもと)でもありました。塩というのは、人間の暮らしになくて …
第2章大石内蔵助 日本第一の先進国①
浅野内匠頭と吉良上野介が、騒動以前から塩をめぐって対立していた、という話を聞いたことがある方もいらっしゃるで …
第2章大石内蔵助 「昼行灯(ひるあんどん)」と呼ばれた男⑦
このように、力のない者や立場の弱い者のことを第一に考えるのが、大石内蔵助という人でした。浅野内匠頭も、あの世 …
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