塩は赤穂藩最大の収入源であると同時に、誇りの源(みなもと)でもありました。塩というのは、人間の暮らしになくてはならないもの。
しかも当時はかなりの貴重品です。あの秀吉(ひでよし)が信長から最初にもらった褒美(ほうび)は二升の塩だったとか。秀吉はそれを胸に抱いて大喜びで家に帰ったというのですから、どれだけ塩がありがたいものだったかが分かろうというもの。そう言えば、英語でも「サラリー」は塩の意味ですね。そうした大切なものを大量に、それも高い品質で世の中に提供していたわけですから、赤穂の人々が塩作りを誇りに思うのも当然でしょう。記録では赤穂の生産高は年間四十万石とあります。
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