第2章大石内蔵助 日本第一の先進国③

 赤穂では平安時代から塩作りが始まっていましたが、それを大規模な事業として成功させたのは、藩祖の浅野長直です。長矩の祖父にあたるこのお方は、もともと常陸笠間(ひたちかさま)の大名でした。その長直が赤穂藩を治めることになったのは、幕府の要請によるもので、塩の生産も幕府が長直に命じたことでした。

 そのころ、幕府が公的に使う塩は、千葉県の行徳(ぎょうとく)あたりで作られていました。ところが江戸の人口が百万人に急増し、大都会となるにしたがって、生活排水の問題が深刻化します。汚水が川にそのまま流され、江戸湾がどんどん汚れていく。その影響で、江戸周辺の海では良質の塩が作れなくなってしまいました。


【コメント】

「長直」は、そのまま「ながなお」とお読みします。
では、この続きはまた、来週金曜日に更新いたします。

皆様、どうぞご自愛なさってくださいませ。