この藩祖を、赤穂の人々が尊敬しないわけはありません。
赤穂藩にとっての命は塩作り。彼らは長矩の代になっても、その事業を発展させるための 労を惜しみませんでした。
品質を落とさないよう努力するのはもちろん、作った塩は全国に届けなければなりませんから、流通を担う藩外の人々にも協力してもらう必要があります。赤穂の船は五千俵の塩を 積んで活躍しました。ただ塩を運んでもらうだけでなく、その時々の相場などの情報を集め るためにも、各地の人々と仲良くしておいたほうがいい。そのため赤穂藩は日頃から宿場町(しゅくばまち) の役人や問屋筋、駕籠(かご)屋、飛脚(ひしゃく)屋などをとても大事にしていたそうです。
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