第2章大石内蔵助 日本第一の先進国④

 そこで浅野長直に白羽の矢が立てられたのは、その父・長重(ながしげ)の代から浅野家が塩作りの専門家として知られていたからです。長直は赤穂に所替えとなり、幕府の期待を背負って塩の生産を始めました。国替えにあたって「築城を希望するときは幕府に申(もう)し出(い)ずべし」と幕府が言っていることが期待の大きさを物語っています。

 ご存じのとおり徳川時代、大名が城を築くときには、増改築も含めて、幕府の許可が必要でした。しかも、その許可はよほどのことがないかぎり出してもらえない。幕府の「申し出ずべし」という言葉は、希望すれば無条件で許可するということ。長直は天守閣の建築も許されていました。異例ともいえる厚遇ですが、それほど塩作りは天下にとって大切な事業だったわけです。

 長直は、その大役を見事に果たしました。塩田を開拓し、幕府の老中たちが納得するだけの素晴らしい塩を江戸へ送ったのです。もちろん、それは赤穂藩をも潤(うるお)わせました。


【コメント】

この続きは、再来週の18日に更新いたします。

皆様、どうぞご自愛なさってくださいませ。