浅野内匠頭と吉良上野介が、騒動以前から塩をめぐって対立していた、という話を聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。
吉良家も浅野家と同様、塩を生産していましたが、饗庭(あえば)塩と呼ばれるこの製品は、赤穂の塩とくらべて質が悪い。そこで吉良上野介が塩作りの秘法を盗むために赤穂へ手下の者を送り込み、それが発覚して浅野家とのあいだで血を見るほどの争いが起き、それが松の廊下まで尾を引いていたというわけですが、これは「忠臣蔵」に後から付け足された俗説の一つ。吉良町の地元出身の作家・尾崎士郎(おざきしろう)の創作です。ただし、そんな逸話が生まれるぐらい、両者の塩に差があったのはたしかなようですね。
【コメント】
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