ところで、こうした素行や赤穂藩の思想の源流を遡(さかのぼ)っていくとき、織田信長(おだのぶなが)の存在を忘れるわけには行きません。
信長は自身の野望のために天下統一を目指したかのように思われがちですが、それは誤解です。数ある戦国武将の中で、信長ほど「公」、すなわち天皇家を大切にした人はいません。このことはあとで詳しく述べますが、信長は当時、荒れ果てていた京都の御所を救うために、さまざまな政策を打ち出しています。その信長の思いが、時間を超えて山鹿素行に引き継がれたと言ってもいいでしょう。
【コメント】
三波春夫は“織田信長”についても研究しました。
この本の第7章は「織田信長と豊臣秀吉」ですので、後日のお楽しみとなさってくださいませ。
また、歌につきましては、台詞と謡曲の一節入りの歌謡曲「織田信長」と、長編歌謡浪曲「信長」を書いて、歌いました。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。