さて、赤穂でさらに自らの学問を磨き上げた素行は、やがて代表作ともいえる大著『中朝事実(ちゅうちょうじじつ)』を書き上げました。これを貫いている思想は、「日本国の太柱である天皇を仰ぎ、幕府も天皇の勅任官として行政を預かるのが筋道である」というもの。
素行は、徳川幕府そのものを否定していたわけではありません。しかし、皇帝から権力を奪取することで革命を繰り返してきた中国とは違い、日本は万世一系の天皇家をずっと国の中心に据(す)えてきた。その天皇の御心に背かないよう、公明正大な政治を行なわなければならない、ということです。ところが幕府のやっていることを見ると天下を公にすると言いながら、実際には天下を私している。これが封建制度における大きな罪悪だと、素行は主張しています。
大石内蔵助を支(ささ)えていたのが山鹿素行の学問だったことが、よくお分かりになったのではありませんか。この思想が赤穂の武士道になっていたのですから、彼らが仇討ちを通じて躊躇(ちゅうちょ)なく幕府を批判できたのも当然だったのです。
【コメント】
この続きは、8月19日(金)に更新いたします。
酷暑が続くようでございますので、
どうぞお気をつけてお過ごしくださいませ。