さて、「公」のために刀を抜いた主君と同様、大石内蔵助も私憤だけに凝(こ)り固まるような人間ではありませんでした。そのことは、浅野家断絶が決まり、赤穂城を明け渡さなければならなくなったときの行動を見れば何よりも分かります。
なにしろ亡国の一大事ですから、赤穂の国元は上を下への大騒ぎ。泣いたり怒ったりする者ばかりで、誰もが冷静さを失っていました。血気盛(けっきさか)んな藩士の中には、「仇討ちだ、籠城だ、切腹だ」といきり立つ者も少なくありません。
その中で、冷静にして沈着、指導者として申し分ない働きをしたのが浅野家家老の内蔵助でした。それまで「昼行灯(ひるあんどん)」などと陰口を叩かれていた内蔵助ですが、まさに「能ある鷹は爪を隠す」ということだったのでしょう。見事なまでに有事の政治家としての手腕を発揮しました。
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