幕府が盲人に金貸し業を許可したのも、今風に言えば福祉政策の一環です。「官金貸付」という判を証文に押したそうです。しかも、「貸した金が返ってこない」と座頭が訴え出れば、奉行所は他の訴訟を後回しにしてそれを真っ先に裁(さば)くことになっていました。お役所仕事といえば融通(ゆうずう)が利(き)かないものと相場が決まっていますが、その点、昔のほうがきめ細やかだったのかもしれませんね。
ともあれ、盲人の最高位である検校というのは、いわば銀行の頭取。当時、江戸に十八人しかいなかったといいますから、そんな地位までたどりついた銀一さん、後に米山(よねやま)検校と名乗って大いに腕を振るいました。
【コメント】
米山検校の話は、まだ続きます。
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