この時代、日本人は中国のことを「支那(しな)」と呼んでいましたが、勝はこう言っています。「支那大陸を相手に、馬鹿な戦争をやったもんじゃないか。こんなことで拍手喝栄している馬鹿どもが多いのを見ると、俺は泣きたくなるよ。支那人ってのは大きいんだ。それに比べたら、日本人なんて小粒で考え方もみみっちい。日本は文字も儒学も仏教も向こうから輸入したんだ。向こうが先生なんだよ。支那の歴史を掘り返したら、偉い人がたくさんいる。そんな国を馬鹿にしていると、そのうち痛い目に遭(あ)うぜ」
こういう大きな視野を持てるようになったのは、物事の本質を見抜く心で勉強し、さらに大勢の人との交流があったからだと思います。
【コメント】
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