第3章・勝海舟 「日本人はみみっちいぜ」③

 開国以降の激動期を世界の荒波の中で生き抜いた海舟には、明治になってもなかなか国際社会に目を開かぬ日本人の了見(りょうけん)の狭さが許せなかったに違いありません。ですから、大津(おおつ)事件《来日中のロシア皇太子に大津で津田三蔵(つださんぞう)巡査が斬りつけた事件》のときも、清(しん)国の総理大臣・李鴻章(りこうしょう)を暴漢がピストルで撃ったときも、その非礼、非常識を嘆いています。明治二十一年(一八八八)には枢密顧問官(すうみつこもんかん)となって、清国との敵対や朝鮮への出兵に一貫して反対意見を唱えていました。日清戦争に勝って四億両(テール)もの賠償金を取って、みんなが「勝った、勝った」と浮かれているときにも、「これは日本の恥だ」と言っていました。


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