第2章大石内蔵助 「松の廊下」の真相とは⑤

 しかし、いくら将軍の生母とはいえ、側室だった女性に従一位はふさわしいものとは思えません。それにもし、母親を従一位にすれば、今度は綱吉自身が「自分をそれより上の正一位(しょういちい)にしてくれ」と言い出しかねません。いかに天下の将軍といえども、正一位が与えられた例はかつてないのです。綱吉の申し出にあからさまな朝廷軽視の臭いを感じ、桂昌院に従一位を与えることに難色を示していました。

 そこで出番となったのが、吉良上野介義央です。もともと吉良家というのは、京都の朝廷へのお使い役を務める高家の筆頭。だからこそ饗応役の大名を指導する立場にもなったわけですが、上野介自身、二十二歳のときから宮中に参内していたほどですから、朝廷への根回しはお手の物。将軍のために京都へ赴き、さかんに公卿さんたちのあいだを走り回って裏工作を繰り広げていました。


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