第2章大石内蔵助 「松の廊下」の真相とは④

 年頭拝賀の儀式は国政安定のために、百年間も徳川将軍が続けてきたもの。かねてから皇室を敬(うやま)い、「公に尽くす」ことを大事にしていた長矩としては、引き受けたからには立派に務めようと思っていたことでしょう。しかしその年の儀式には、いつもと違う裏事情がありました。将軍の綱吉は朝廷へのお願い事を一つ抱えていたのです。

 それは、生母の身分に関することでした。綱吉を産んだ桂昌院(けんしょういん)は、もともとお玉という人で、京都の八百屋の娘。それが三代将軍家光(いえみつ)の側室となり、綱吉を産んだのです。綱吉はその桂昌院に従一位(じゆいちい)の位を授けてくれるよう、朝廷に願い出ていました。


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