その饗応役に長矩を指名した時の老中・柳沢吉保(やなぎさわよしやす)にしてみれば、「赤穂は塩で儲(もう)かっているから大丈夫だろう」という思いがあったのでしょう。しかし現実はそう楽なものではありません。たしかに赤穂で作られる塩は日本一の品質を誇り、庶民レベルまで知られて、全国シェアも大きなものでしたが、世は元禄のインフレ時代。赤穂の財政は柳沢吉保が思っているほど潤(うるお)ってはいなかったのです。
おまけに長矩は数年前に疱瘡(ほうそう)を患(わずら)い、そのときも体調のすぐれない状態で、とても激務に耐えられる体ではありません。長矩は下命を受けたとき、「まことに恐れ多きことながら、病気がござりますゆえ、次の機会にお願い致したく存じます」と、一度は断わりました。
ところが幕府の老中たちは、聞く耳を持とうとしない。「上意でござるぞ」の一点張りです。
【コメント】
可哀想ですね…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。