よく知られているように、この事件は浅野内匠頭長矩(ながのり)が年頭拝賀の儀式で勅使饗応役(ちょくしきょうおうやく)を拝命したことから始まりました。年頭拝賀の儀式というのは、京都から来た天皇の勅使に将単がご挨拶(あいさつ)をするもの。徳川将軍は「関東代官」として天皇から行政を任(まか)されている立場ですから、これはとても大切な儀式です。
その儀式で勅使を接待するのが、「御馳走(ちそう)人」とも呼ばれた勅使饗応役。勅使への進物や料理などにかかる費用はすべて饗応役が自分で賄(まかな)うことになっていましたから、これを引き受けた者の負担は大変なものでした。
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