つまり嘉兵衛さんの家は、もともと苗字帯刀(みようじたいとう)を許された立派な家柄。そういう意味では武士の気概のようなものがその血の中に流れていたのだといえましょう。だからこそ、民間の商人として活躍する一方で、国家の一大事にも身を捨てるほどの覚悟で貢献することができたんじゃないでしょうか。
もっとも、嘉兵衛さんが生まれた当時の生家は半農半漁の貧しい家庭。六人兄弟の長男として家計を助けなければいけなかった嘉兵衛さんは、十二歳で家を出て親戚のもとへ奉公に出ました。その奉公先が商売を営(いとな)んでいたことが、商人・高田屋嘉兵衛の出発点。嘉兵衛さんは今風(いまふう)に言えば「お客さまのニーズ」に敏感でしたが、そういう感覚はこの奉公先で身につけたのでしょう。
【コメント】
嘉兵衛さんと同じように、三波春夫も、親が借金を返すその手助けをするために、13歳で新潟から上京して住込み奉公を始めました。
最初が米屋、次が製麺所、その次に築地の魚河岸で働いているときに「日本浪曲学校」という夜学に通い出し、16歳で浪曲家としてデビューしたのでした。
では、次回は31日金曜日に更新いたします。
皆さまどうぞご自愛くださいませ。