当時、幕府は船の建造について厳しい規制を設(もう)けていました。海外貿易を幕府の管理下で独占するためです。鎖国政策を維持するため、海外への渡航を食い止めるという目的もあったのでしょう。いずれにしても民間業者は大きな船を造ることが許されず、いわゆる千石船(せんごくぶね)が上限でした。さらに、外洋を走るために必要な三角帆も禁止。四角い白帆一枚の千石船という、内海専用の船しか許可されていなかったんです。
ですから回船業者たちは、内海をゆっくりと航行せざるを得ない。外洋で黒潮に乗ればスピードは上がりますが、そんな規格の船で外洋に出るのは正気の沙汰(さた)じゃありません。どこまで行ってしまうか分からない。下手(へた)をすれば、ジョン万次郎と同じ運命です。せめて三角帆が一枚か二枚あれば、うまく風をとらえて針路をコントロールできたでしょう。しかし白帆一枚では危なくてしょうがありません。
ところが嘉兵衛さんは違いました。どうしたものか白帆一枚で見事に風を捕まえ、黒潮に乗って自由自在に外洋を走ることができたんです。当時そんな離(はな)れ業(わざ)ができたのは、高田屋嘉兵衛ただ一人。まさにプロ中のプロ、並ぶ者のない傑出した人材だったわけです。
【コメント】
次回からは、嘉兵衛さんのプロフィールです。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。