おそらく信長は、西洋の人々がどうやって国家を経営しているかということを、熱心に勉強していたのでしょう。すると、彼の地ではキリスト教が国の中心になっていることが分かる。それと同じように日本の祭祀王(さいしおう)として、皇室の存在は必要不可欠と考えていたに違いありません。
その信長の気持ちは、その後も日本史の中を地下水脈のように流れていきました。信長の後を受けた秀吉も天皇家を大事にしましたし、家康に始まる徳川幕府も同じです。やがてその思想は山鹿素行(やまがそこう)や吉田松陰(よしだしょういん)の学問にも引き継がれ、明治維新の王政復古(おうせいふっこ)にまでつながってゆく。その源流には、間違いなく織田信長がいたのです。
こうした、歴史の流れ方というものを、私たち日本人は蔑(ないがし)ろにしてはいけないのではないでしょうか。国のあり方というのは、ポンと法律を一つこしらえるだけで変えられるほど簡単なものではありません。先人たちが知恵を働かし、歴史を積み重ねてきたことによって、今の日本があるのです。
【コメント】
お盆休みのお疲れが出ていらっしゃいませんか。
お身体をお大切にお過ごしくださいませ。
また来週金曜日に更新いたします。