実は吉良邸討ち入りの後にも、赤穂浪士が昔の恩を返してもらったことがありました。仇討ちを果たした彼らが上野介の首級(しるし)を掲げて高輪泉岳寺(たかなわせんがくじ)へ向かう途中のこと。汐留(しおどめ)を通りかかった彼らに「どうか朝粥(あさがゆ)を食べていってください」と申し出た藩がありました。疲れ果てた一行が身も心も暖まる朝粥を振る舞われたのは、仙台藩伊達家のお屋敷でした。
天和(てんな)三年(一六八三)と言いますから、討ち入りの二十年前のこと、赤穂の塩作りを学ばうと、仙台藩が佐藤三右衛門という武士を送り込んだことがありました。とはいえ、真っ正直に仙台藩士を名乗って「塩作りを教えてください」とは言えません。だから三右衛門は身分を隠して塩作りの仕事に就(つ)き、技術を習得していました。もちろん、いずれ機を見て仙台に帰るつもりです。
【コメント】
三右衛門さんの話は続きます。
また来週金曜日に更新いたします。