第2章大石内蔵助 赤穂の命は塩作り⑤

 苦しいときに手を貸してくれる人々がいたというのは、赤穂藩が常日頃から誠実に外部とつきあっていた証拠でしょう。

 力やお金だけあって情に欠けていては、調子のいいときは人が寄ってくるものの、困っているときには誰も近寄らないものです。赤穂の人々が塩作りの成功に慢心して、自分たちの儲けばかりを考える商売をしていたら、いざというときに誰も助けてくれなかったに違いありません。お家断絶などと聞けば、むしろ「いい気味だ」と見捨てられるのが落ちだったでしょう。


【コメント】

この続きは、また来週金曜日に更新いたします!