そもそも吉良一人を討つだけならば、腕の立つ者が五人か六人いれば済む話。四十七人もの人数を集めて事を起こす必要はありませんし、決行の時期も、浅野内匠頭の切腹からそんなに間をおかずにやれたはずです。
しかし大石内蔵助は、じっくりと時間をかけて周到な準備を行ない、四十七士を鉄の団結を誇る集団にまとめ上げてから、討ち入りに臨(のぞ)みました。これが単なる仇討ちではなく、幕府の政道批判という大義のあることだと世の人々に分かってもらうには、それだけの時間と人数が必要だったのです。
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では、この続きはまた来週の金曜日に更新いたします。