一方、そのころ日本では、高田屋嘉兵衛がこの紛争の解決に乗り出す覚悟を固めていました。この問題は、お侍に任せてはおけない。武士の感覚だけで事を運べば、話はこじれるばかり。しかし商人の自分ならば、交渉にも柔軟に取り組むことができる。蝦夷の人々と海産物を守るためにも、ここは自分以外に解決できる者はいない。
そう嘉兵衛さんが考えているときに、リコルドが再び日本にやって来ました。それが文化九年(一八一二)八月のこと。リコルドは国後島へ行き、日本の漂流民とゴロヴニンとの交換を申し出ましたが、これを拒否されました。こうなったら、別の手を考えなければなりません。そのときちょうど国後島に入ってきたのが、嘉兵衛さんを乗せた観世丸(かんぜまる)。リコルドはこれを拿捕(だほ)し、嘉兵衛さんをロシアへ連行したのでした。
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師走のあわただしさの中、どうぞご自愛くださいませ。