第1章高田屋嘉兵衛 捕虜となったロシア艦長①

 ちょうどそのころ、日本とロシアの関係は交易をめぐってぎくしゃくとし始めていました。ロシアは日本と交易をしたい。けれども幕府は、中国・オランダ・朝鮮・琉球(りゅうきゅう)以外との通商を認めません。文化(ぶんか)元年(一八〇四)、ロシアはレザーフという使節を長崎に送り込んで通商を要求しましたが、幕府はけんもほろろにこれを追い返しました。ちなみにアメリカのペリーが黒船で浦賀(うらが)沖にやって来たのは、それからおよそ五十年後のこと。まだまだ開国という流れにはならない時代だったわけです。

 そして一年後の文化三年、事態は風雲急を告げます。通商を拒絶された仕返しに、フォストフ大尉率(ひき)いるロシア艦隊が樺太を襲撃。翌年にも択捉島でロシア人による掠奪・放火事件が起こったのです。幕府は北方の海防を固め、厳しい内容のロシア船打ち払い令を発して対抗しました。そんな反露感情が高まっているときに択捉島に上陸したのが、ロシア海軍のディアナ号の艦長ゴロヴニンです。彼は測量という任務のために上陸しただけで、戦争をしに来たわけではありません。しかし、間が悪かった。択捉島で薪(まき)や水を求めても、誰も売ってくれません。


【コメント】

では、この続きはまた来週金曜日に更新いたします!