択捉島には、その三年ほど前にロシア人も上陸しています。だからロシアの領土を示すロシア正教の十字架も立っていた。一方、日本では以前から北方探検家の最上徳内(もがみとくない)が「千島列島は日本の領土である」と主張していました。その根拠は、そこでアイヌ人が暮らしていること。アイヌ人は日本人であり、領土とはその住民のものだ、というわけです。近藤重蔵も同じ考えの持ち主ですから、当然この島をロシアに渡したくはありません。そのため彼は、寛政十年七月にロシアの十字架の代わりに「大日本恵土呂府(エトロフ)」の標柱を立てて、そこが日本の領土であることを主張しました。
【コメント】
ではまた、来週金曜日に更新いたします。