嘉兵衛さんがその名を広く世に知られるようになったのは、二十三歳の時のこと。当時、江戸の町では毎年、人々が灘(なだ)の新酒の到着を首を長くして待っておりました。六甲山(ろつこうざん)から降りてくる灘の宮水(みやみず)といえば、世界的にも有名な高品質。その水で作った新酒なんですから、「誰よりも早く飲みたいッ」というのが人情というものです。
けれども、なにしろトラックも飛行機もない時代の話。今のように、フランスで解禁された新しいワインをすぐに日本で飲む、という具合にはいきません。船で運ぶのがいちばん早いわけですが、それでも何日もかかります。だからこそ待ち遠しさも倍増するわけで、物流を担(にな)う回船業者にとってはここが腕の見せどころ。江戸では、いちばん最初に届いた新酒が、二番手以降よりもかなりの高額で取り引きされていました。ですから大勢の船頭たちが、「我こそは」と一番乗りを目指して張り切っていたんです。
【コメント】
余談ですが、三波春夫は下戸でございました。
お祝いの席などで「乾杯!」のためにひと口くらいビールを飲みますと、その後、“1番たくさん呑んだ人”のような真っ赤な顔をしておりました。
酔っぱらったことのない三波でしたが、“一人娘を嫁に出す父親”を描いたオリジナル曲『これが呑まずに居られるかい』では、実にうまい酔っ払いのお父さんを演じておりました。DVD「歌藝(うたげい)~極め付きのステージ~」でご覧いただけます。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。