第7章・織田信長と豊臣秀吉『秀吉と光秀』③

備中高松(びんちゅうたかまつ)に陣取っていた秀吉が秀吉の死を知ったのは、翌日の夕刻のこと。光秀が毛利氏へ向けて走らせた密使を途中で捕らえた秀吉は、その密書に目を通して愕然(がくぜん)としました。
光秀は書状の中で、本能寺で信長を殺(あや)めたことを告げ、かくなる上は自分に力添えしてくれるよう、毛利氏に訴えていたのです。

これは一大事。しかし、いつまでも驚いているわけにはいきません。秀吉は頭をフル回転させて善後策を講じました。そして、信長の死を隠したまま素知らぬ顔で毛利軍と和議を結んだのです。天地がひっくり返るような危機に直面しながら、こんな大芝居が打てるところが、秀吉という人間の大きさなんですね。

さらに秀吉は、光秀を討つために出陣。山崎(やまざき)の戦いで明智軍を打ち破りました。敗れた光秀は、敗走の途中、竹藪(たけやぶ)で農民の襲撃を受けて殺されています。ちなみに山崎というのは、淀川(よどがわ)と天王山(てんのうざん)にはさまれた土地。いまでもプロ野球の首位攻防戦などが「天王山の戦い」と呼ばれるのは、そこでこの秀吉と光秀の戦いがあったからです。勝った秀吉は、ここで信長の後継者として大きく前進しました。光秀の謀反は、ライバルの出世を後押しするという皮肉な結果に終わったわけです。

秀吉に勝利をもたらしたのは、何といってもその機敏さでしょう。人の動きを的確にとらえて、こうと決めたらただちに行動を起こす。このへんは、上司の信長とよく似ていますね。おそらく信長のやり方をよく見て学んでいたのだと思います。


【コメント】

では、この続きはまた来週金曜日に更新いたします。
季節の変わり目ですので、お身体を大切にお過ごしくださいませ!!