第7章・織田信長と豊臣秀吉『秀吉と光秀』②

たとえば、秀吉が長浜(ながはま)二十万石の城主になったときのこと。柴田勝家(しばたかついえ)と諍(いさか)いを起こした秀吉に、信長が「この禿(は)げ鼠(ねずみ)、謹慎しておれ!」とカミナリを落としたことがありました。大社長に怒鳴りつけられたのですから、ふつうはシュンとして引きこもってしまうところです。しかも相手は何事(なにごと)にも容赦のない信長ですから、なおさら怖い。

ところが秀吉は、しおらしく謹慎するどころか、「これは久しぶりにお休みをいただいたわい」なんぞと言いながら、城の中でどんちゃん騒ぎをやっていました。このあたりが、秀吉の凄さですね。

相手を打ちのめすような叱り方をしたことは、信長自身も分かっています。ですから、部下が反発もせず殊勝(しゅしょう)に謹慎していれば、かえって「あいつは謀反(むほん)を企(くわだ)てるかもしれない」と勘繰(かんぐ)るかもしれません。信長がそう思わなくても、秀吉の失脚を願っている連中がそんな噂を立てないともかぎらない。だから、あえて明るく振る舞っているところを見せて、信長を恨んではいないことをアピールしたわけです。人の心を見抜く目を持った人物にしかできない芸当ですね。

一方、明智光秀はまったく逆のタイプでした。秀吉は信長の欠点を大きな気持ちで受け入れていましたが、光秀はそれほど懐が深くありません。罵(ののし)られれば、その言葉を額面どおりに受け止めてシュンとしてしまう。それで心の中に恨みを溜め込んでしまい、最後には本能寺で謀反を起こすところまで行ってしまったわけです。

しかし、謀反には成功したものの、それが三日天下(正確には本能寺の変から光秀の死まで十二日間ありましたが)で終わってしまうあたりが、光秀という人物の限界だったんでしようね。ここでも、秀吉との力量の差が出てしまったように思えます。信長を討った後、頼みにしていた武将に裏切られて孤立してしまった光秀に対して、異変を知ってから秀吉が取った素早い行動は、それは見事なものでした。


【コメント】

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