さて、ついでと言っては失礼ですが、ここで豊臣秀吉にも少し触れておくことにしましょう。
信長と秀吉の主従関係というのは、とても面白いですね。この二人ほど相性(あいしょう)の良い「上司と部下」もめずらしいのではないでしょうか。サラリーマン諸氏が、彼らの物語を好んで読まれるのも、頷けるような気がいたします。戦国時代はまことに、たくさん人間関係の活きた教科書ですね。
あれだけ個性の強かった信長と秀吉の関係がうまくいったのは、まずお互いに人間を見る目を持っていたことが大きかったと思います。
信長は人使いが乱暴なことで知られていますが、それでも相手のことはよく見ていました。秀吉にいたっては、人間観察の達人といってもいいでしょう。彼ほど信長の長所と短所をはっきり見抜いていた人はいませんね。これは部下にとって、いちばん大切なことかもしれません。
ふつう、部下というものは、上司の欠点を見つけては不平不満を口にするわけですが、秀吉は違います。短気で癇癪(かんしゃく)持ちという信長の気性(きしょう)を、秀吉ほどよく分かっていた人はいないでしょう。それでも秀吉は、死ぬまで信長についていこうと決めていました。
「信長公は人使いが荒い、などと思う奴(やつ)は、自分の力はこれ以上ないと言うのと同じことよ。オレが信長公に仕(つか)えるのは、オレを活かしてくださる天下ただ一人のお方だからナモ」
そこまで信頼を寄せていましたから、信長がヒステリーを起こしても、「また信長様の癇癪が出たわい」ぐらいに考えて、平然と受け流してしまう。表面的なものに流されず、懐(ふところ)の深いつきあい方ができたわけです。
【コメント】
また来週金曜日に更新いたします。
「三波春夫没後25年記念特別企画」公演は、今週は鹿児島、熊本、福山で開催されました。
お陰様で大盛況でございました。
ありがとうございました。