第7章・織田信長と豊臣秀吉『世界最初の新戦法』②

そして桶狭間から十五年後。いわば稀代のアイデアマンだった信長の真価が問われる舞台が訪れました。武田勝頼(たけだかつより)の騎馬隊を相手にした、長篠(ながしの)の戦い(一五七五年)です。ここで信長は、それまで誰も思いつかなかった戦法を採りました。その戦法とは、三千挺(ちょう)の鉄砲による三段撃ち。これは、世界初の一斉射撃という特筆もののアイデアでした。

ポルトガル人によって種子島に鉄砲がもたらされたのは、一五四三年のことです。それ以来、戦さのやり方は大きく変わっていったわけですが、信長が長篠で実行するまで、誰も一斉射撃という戦法を思いつきませんでした。それを最初に考え出せたのは、やはり信長が人と違う着想の持ち主だったからでしょう。

武田の騎馬軍といえば、当時、無敵と恐れられていた精強部隊。自軍の旗色が悪いからこそ、必死の思いの中から生まれた戦法だったに違いありません。必要は発明の母、とはよく言ったものです。

このアイデアが凄いのは、一斉射撃自体が初めての試みだったにもかかわらず、次の弾を発射するまでに生じるタイムラグをなくす工夫までなされていた点でしょう。一列目の鉄砲際は繋ったら後ろに回り、すぐに用意を調(ととの)えていた二列目が撃つ。三列目が撃ち終わったときには、また一列目の発射準備ができている。この「三段撃ち」をやらなければ、まごまごと次の準備をしているあいだに武田の騎馬軍が押し寄せてしまうのです。

その上、これは、捨て身ともいえるギリギリの戦法でした。というのも、これはまだ鉄砲の射程距離が短い時代の話。遠くからじっくり狙いを定めているわけにはいきません。相手を遅くまで引きつけてから撃たなければ、弾が命中しないどころか届きもしないんです。

猛然と突き進んでくる騎馬軍が、ほんの百五十メートル先まで近づいたところで、初めて引き金を引く。いくら飛び道具を手にしているとはいえ、これは勇気のいることだったと思いますね。弾が外れればあっという間に敵が接近してきますし、向こうだって槍という飛び道具を持っている。それを思えば、一斉射撃がけっして楽な戦い方ではなかったということが、お分かりになるでしょう。

だからこそ私は、その戦法を考え出しただけでなく、思い切って戦場で実行させた信長の決断力が素晴らしいと思うのです。

【コメント】

また来週、金曜日に更新いたします。
「三波春夫没後25年特別企画」公演は昨日、松戸にて無事に盛況に幕が開きました!
今後の開催地をご確認くださいまして、ご都合が合われましたら是非ご来場くださいませ‼︎