第7章・織田信長と豊臣秀吉「歴史は西から動く」③

その名残りは、政治の中心が東京に移った今でも見られます。私たち芸人の世界では、名古屋は芸どころと呼ばれて、一つの関門になっているんですね。大阪の芸人が東京へ出るときも、東京の芸人が大阪へ出るときも、名古屋でウケるかどうかが成否の分かれ目。そこでウケなければ東京や大阪でも認められない、というわけです。

ですから私も、修業時代に名古屋へ行ったときは特に真剣でした。名古屋のお客様に「おきゃあせ」と言われたら、それでおしまい。「おきゃあせ」というのは名古屋の言葉で、直訳すれば「そこで置いておけ」、つまり「もう止めておけ」というような意味です。

実業の分野でも、たとえばソニーを作った故・盛田昭夫さんは尾張の出身。東京の人じゃありません。会社でいえば、トヨタも名古屋が本拠地です。こうして世界に通用するビジネスを生んでいることを見ても、中部日本はこの国の歴史の中でとても重要な役割を担ってきたといえるのではないでしょうか。


【コメント】

名古屋市の大劇場「御園座」さんにて、三波春夫はその正月公演を任されて、芝居と歌謡ショーの一ヶ月公演を連続20年ほど務めました。大晦日に紅白歌合戦に出場し、翌日が御園座初日ということもありましたが、大抵は2日初日で28日千穐楽という具合でした。芸どころの名古屋市において、その時代の正月の風物詩となれたことは、三波春夫にとって励みであったと思います。

次回は、5月14日に更新いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。