こうして直接交渉を進める一方、海舟はその前に江戸中を走り回って手を打っていました。彼が江戸総攻撃への対抗手段として考えたのは、いわゆる焦土作戦でした。焦土作戦といえば、その五十五年前の出来事ですが、ロシア遠征を企てたナポレオンが、退却を余儀なくされたことで知られていますね。六十万もの兵力を率いたナポレオンは、モスクワを目指しましたが、この時のロシアの名将クツゾフがモスクワから退却する前に、都市の施設を焼き払い、我が街をあえて焦土として、敵にそれを利用させないという、まさに捨て身の作戦を展開。ナポレオン軍は、さらに「冬将軍」の到来によって退却せざるを得なくなったわけです。海舟が考えたのも、これと同じものでした。クツゾフの作戦は世界史に有名なことですから、その話を参考にしたのでしょう。いや勝海舟ほどの人なら、それを知らなくともこの戦術を思いついたことでしょう。
焦土作戦を準備するために、まず町火消しの頭や顔役、親分たちを訪ね歩き、軍資金を配りました。
【コメント】
焦土作戦はどうなったでしょうか…。
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