慶応四年(一八六八)三月上旬、江戸の街は緊張感を高めていました。すでに多摩川(たま)を越えた新政府軍が、三月十五日を期して江戸総攻撃を行なうという噂(うわさ)が飛(と)び交(か)っていたからです。これを食い止めて江戸開城を決めたのが、三月十四日の西郷隆盛(さいごうたかもり)と勝海舟の有名な薩摩(さつま)屋敷の会談。しかし実はその前日にも二人は会って話をしていました。
そのとき海舟は、「西郷さん。幕府重臣たちは、江戸城をお引き渡しすることを決めておりやす。それに、こちらは和宮(かずのみや)様をお預かりしている。朝廷からも、和宮のことをよろしく頼むという手紙を頂戴(ちょうだい)していることを、よくよく心に留めておいてくださいよ」
言うまでもなく、和宮様というのは孝明(こうめい)天皇の妹君。公武合体を推進していた幕府が、十四代将軍徳川家茂(いえもち)の正室として迎え入れたお方です。この日、海舟はこのことだけを話したそうですが、西郷は、「はい、よく分かりました。総督の宮様(有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう))にお目にかかりご相談申し上げます。取りあえず明日の総攻撃は中止致しまする」と答えました。
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