けれども、カムチャッカ長官に昇進したリコルドが多忙をきわめたことなどもあって、ゴロヴニン解放に関する交渉はなかなか進みません。やっとオホーツク長官ペトロフスキーとの面会がかなったのが、翌年三月のこと。そこで嘉兵衛さんは、日本の代表者として立派に振る舞いました。貴国の軍隊が樺太や択捉を強奪したこと、捕虜を連行したことなどを詫(わ)びてもらわないと、ゴロヴニンを返すわけにはいかない。
「自分と交換でゴロヴニンを返すよう幕府に頼むから、もう帰らせてくれ」
なんていう泣き言は、けっして口にしません。我が身のことは顧(かえり)みず、国家の代表者として筋を通すことだけを考えていたのです。
【コメント】
嘉兵衛さん、またカッコイイですね。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。