さて、暴風雨を切り抜けてロシアに向かった嘉兵衛さん。船内では、ただ捕虜としてじっとしていたわけではありません。まず、寝泊まりする部屋をリコルドと一緒にしてくれるよう頼みました。これも、嘉兵衛さんが紛争解決に自ら尽力しようと覚悟していたことの表われでしょう。相手の懐(ふところ)に、ぽんと飛び込んだ。これこそ、商人らしい柔軟な感覚です。武士にできることじゃありません。
さらに嘉兵衛さんは、世話役としてあてがわれたオリーカという少年からロシア語の手ほどきを受け、リコルドとの間だけで通じる言葉を増やしてゆきました。日本語とロシア語のちゃんぽんみたいなものだったかもしれませんが、ともかく会話ができるようになったのは大きな進歩。相手側の責任者と信頼関係を作ることが先決だと考えたに違いありません。
【コメント】
三波春夫も、ロシア語の単語をちょっとだけ覚えておりました。
そうです、終戦後の4年間、シベリアのハバロフスクとナホトカで捕虜生活を送ったからです。
「カチューシャ」という歌も1コーラスだけ覚えていて、終戦50年記念の番組ロケでハバロフスクを訪ねた旅で披露しました。
三波春夫の外国語の歌も、なかなかいい感じでしたよ。
抑留生活で味わった厳しさについては、またの機会に…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。