いずれにしろ、北前船は嘉兵衛さんに莫大(ばくだい)な富をもたらしました。一度の航海で五百両もの利益が出たというのですから大変なものです。嘉兵衛さんの商売が成功したのは、もちろん彼の商才と航海術があったればこそ。でも、それだけではありません。いくら仕事の腕がよくたって、自分の欲得しか考えないような冷たい人に商売はできません。何はなくとも、人から信用されるのがいちばん大事。その信用を得るために、嘉兵衛さんは先人の仕事から多くのことを学んだのでしょう。
その先人とは、東廻り・西廻りの航路を開いたことで知られる河村瑞賢(かわむらずいけん)です。嘉兵衛さんの時代より百年も前に活躍したお方で、その業績がなければ元禄(げんろく)の繁栄はなかったといわれるほどの人物。そもそも河村瑞賢が航路を開いてくれていなければ、嘉兵衛さんの北前船が就航することもなかったわけです。
【コメント】
三波春夫は、昭和35(1960)年に、歌手が座長の大劇場での1ヶ月公演を歌謡界初として実施し、その後も毎年の公演を重ねました。
その中で、“河村瑞賢”を題材にした芝居を上演しています。
脚本は花登筐氏。タイトルは「虹を掴む男」。描いたのは瑞賢さんの青春時代。
昭和47(1972)年3月大阪・新歌舞伎座、8月東京・歌舞伎座、翌年の1月名古屋・御園座での演目でした。
ではまた、来週金曜日に更新いたします。