こうして近畿を掌中(しょうちゅう)に収めた信長は、さらにその二年後、家康軍と連合して甲斐(かい)に攻め入りました。追い詰められた武田勝頼が自害して、宿敵の武田氏は滅亡。悲願の天下統一まで、残された関門はそう多くありません。勢いに乗る信長は矛先(ほこさき)を西国(さいごく)に向け、毛利氏との決戦に出陣するために上洛しました。
そのとき泊まった先が、あの本能寺(ほんのうじ)。明智光秀が謀反を起こす前夜、信長は公家(くげ)や商人を集めて大好きな茶会を楽しんでいたといいます。そのために警備も手薄になっていました。
桶狭間の戦い以来、激戦を何度もくぐり抜けてきた信長にしてみれば、まさかそこが自分の死に場所になってしまうなどとは思ってもみなかったに違いありません。
森蘭丸(もりらんまる)から、謀反を起こしたのが光秀だと聞かされた信長は、
「先の見えぬ大たわけめ。おのれがこの国の舵(かじ)取りを、どのように進めていけるのだ」
と、無念の想いをつぶやいたことでしょう。
たしかに、ここで信長の人生が終わってしまったことは残念でなりません。その時点で、信長はすでに新しい時代に向けた政策を次々に打ち出していました。もし信長があと二十年ぐらい生きて、天下統一を実現していたら、その後の歴史はまったく違うものになっていたことでしょう。海外の文化や外国人をどんどん受け入れた人ですから、信長が天下を取っていたら、徳川時代の鎖国政策もなかったでしょう。
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