第3章・勝海舟 「恨みを残さず、徳を残せ」⑧

 しかし当時の日本でも、西郷さんのように「慶喜の首を獄門台(ごくもんだい)に晒(さら)して初めて革命が成就する」と考えていた人々はおりました。でも勝さんは、それをさせなかった。曾祖父がしたと同じように、恨みを残さずに徳を残しました。「世界の常識」からは外(はず)れるかもしれませんが、こういう日本人の美風は忘れてはいけないと思います。むしろ、日本人の知恵を世界に広めたいぐらいです。

 ところで、天皇陛下との会食が叶(かな)って喜んだ慶喜は、長男を亡くしていた勝に、自分の十番目の息子・精(くわし)を養子とすることを約束しました。米山検校から始まった水戸家との結びつきは、それそれぐらい強いものだったんですね。歴史にタラレバはないと言いますが、もし銀一さんが立派な検校になっていなかったら、明治維新はずいぶん違ったものになっていたのかもしれません。


【コメント】

海舟の長男・小鹿さんは、明治25年に39歳で他界。男子が無かったため、長女に精さんが婿入りして、勝伯爵家を継いだのだそうです。
ではこの続きは、また来週金曜日に更新いたします。