第7章・織田信長と豊臣秀吉「歴史は西から動く」①

当たり前のことを言うようですが、お日様は、東から昇って西へ沈みます。でも文化や文明は、それとは逆のようですね。どうやら人の世というものは、西から東へ向かって開けていくことが多いようなんです。

どういう理由があるのか分かりませんが、たとえば弦楽器の発達ぶりを見てもそれが分かります。琴(こと)や三味線(しゃみせん)が最初に中国で生まれたとき、弦は一本でした。それが日本に伝わってきたときには、もう何本もの弦を張った楽器になっているんです。西洋のギターも同じで、西から東へ伝わっていくにしたがって、弦が増えてゆきました。

日本の文化全体を見渡しても、やっぱり流れは「西から東」ですね。まずは九州に稲作文化が入って弥生(やよい)時代が始まり、それが東へ進んでいった。ずっと歴史を下って幕末に、たとえば西の薩摩(さつま)藩に島津斉彬(しまづなりあきら)という傑物が現われたのも、そんな流れに沿っているように思えます。

洋学に関心を寄せていた斉彬公は新しいものをどんどん取り入れ、反射炉建設や洋式の軍事工業を誰よりも早く薩摩で始めました。パリの万国博覧会に幕府と並んで薩摩藩が単独で出展できたのも、その成果の一つでしょう。その薩摩が、日本の近代化への扉を開いた。明治の日本も、まさに「西から東」へ開けていったのです。

さらに文化だけでなく、侵略者も西からやって来ました。西欧の列強は東へ東へと植民地を広げてゆき、アジアの人々を苦しめてきたのです。


【コメント】

始まりました、信長と秀吉。

「三波春夫公式YouTubeチャンネル」では4月14日に命日記念にて長編歌謡浪曲『信長』をアップいたしますので、お楽しみになさってくださいませ。

では、ブログはまた来週金曜日に更新いたします!