第6章・児玉源太郎「即断即決の男」①

初めから終わりまで日露戦争を取り仕切った児玉源太郎は、終戦から一年半後の明治四十年に五十六歳の若さで亡くなりました。日本の存亡を懸けた戦争で、力の限りを使い果たしてしまったのです。まさに児玉にとって命懸けの戦争だったのです。

このとき葬儀委員長を務めたのは、乃木希典将軍。その心中は、どんなものだったでしょう。頼もしい親友に先立たれ、淋(さび)しげな姿が参列した人々の心に残りました。その乃木さんは、五年後の明治天皇崩御の際、夫人とともに殉死(じゅんし)されました。きっと児玉さんが亡くなった時点で、「この世の終わり」と思い詰めていたのではないでしょうか。

ある意味で冷徴な実務家だった児玉源太郎とは対照的に、乃木希典はいわば情の人。たとえば日露戦争が終わった後、各軍の大将が明治天皇の御前で戦争報告をした際、乃木さんだけは最初から最後まで泣きっぱなしで、何も報告できなかったといいます。

「もうよい、乃木。おまえも二人の子を亡くして気の毒であった」

と明治天皇に慰めていただいて、涙を拭(ぬぐ)いながら退出してきたそうです。

こういう情の深さは、旅順で戦ったロシアの将軍ステッセルに対しても向けられました。

旅順監落の後、水師営(すいしえい)で会談した二人がお互いの健闘を讃(たた)え合った話は有名です。その後ステッセルはロシアの軍法会議で死刑を宣告されましたがシベリアへ流されます。晩年は、雑貨商のようなことをして侘(わ)びしく暮らしていました。これを気の毒に思った乃木さんは、ステッセルの死後も自分の年金の一部を彼の家族に送金し続けたそうです。

こういう魅力的なお人柄だからこそ、乃木将軍の話は後に歌にもなり、浪曲にもなり、後世まで語り継がれているんでしょうね。私自身、乃木将軍の話を聞くと思わず泣けてきてしまいます。乃木さんは尊敬に値する高潔な人格の持ち主で、詩歌にも通じた人でしたが、その情の深さが、軍事指導者としては邪魔になったような気がします。


【コメント】

児玉源太郎さんのお話は、次回が最後です。
また来週金曜日に更新いたします!