「貴官は理論に長ずれども実際に適せず」
立腹した児玉さん、こんな電文を送りつけて、部下を見限りました。
とはいえ児玉さんとしても、国内の食糧事情が悪いことはもとより計算していたこと。ここで児玉さんは、台湾総督府に「二年分の米を送れ」と打電しました。すると、すぐに「承知した」との返事。この返事をしたのが、台湾総督府の民政長官を務めていた後藤新平(ごとうしんぺい)でした。
後藤新平といえば、後に初代満鉄総裁、外務大臣、東京市長などの要職を歴任し、関東大憲災のときには東京の復興に辣腕(らつわん)を振るったことで知られる人物。その後藤さんを抜擢(ばってき)して台湾総督府に置いたのは、児玉さんの意思によるものでした。その期待どおりの力量をみせ、後藤新平はつべこべ言わず「承知した」と即答できたわけです。後に「ホラ吹き後藤」などと言われた人ですが、このお方も腹の据わった偉い人物だったんですね。
先を読む眼力と、それに備える実行力。危機に立ち向かう指導者には、この周到さが求められるものですね。
念のため付け加えておくと、台湾総督を兼任したり、後藤新平を起用したりしたのは、けっして日露戦争のためだけにやったことではありません。児玉さんは、台湾のことも研究していました。後藤さんを抜擢した理由は、一つには彼が医者だったからです。当時の台湾では、マラリアなどの風土病が大きな問題になっていました。だから、それに詳しい人間を送り込んだわけです。
【コメント】
台湾の総督、という時代です…。
ではまた、来週金曜日に更新いたします!!