何十手も先を読んで、事前にさまざまな布石を打っていたその手腕には、本当に驚きます。戦争全体を俯瞰(ふかん)する広い視野を兼ね備えていた。それが児玉源太郎の素晴らしいところではないでしょうか。
ちなみに日露戦争前に児玉さんは台湾総督という役職も兼任していました。戦争が始まったところで辞職するのは普通の人のやること。その後も続けたのは、これも先を見越した布石の一つ。その目的には満州軍が孤立して食糧が枯渇(こかつ)した場合に備えての、台湾米(嘉義(かぎ)米)の調達がありました。
その布石が生きたのが、日本海海戦の直前。というのは、もしも、バルチック艦隊が朝鮮海峡を制した場合、満川軍は内地と連絡が取れなくなって孤立してしまうのです。むろん児玉さんも海軍の奮闘を期待していましたが、勝利を確信できるような状態ではありませんでした。指揮官としては、最悪の事態を想定して手を打っておかなければいけません。
そのために児玉さんは、まず大本営の長岡外史(ながおかがいし)参謀次長に「満川軍二年分の食糧を送れ」と電報で命令しました。ところが国内の食糧事情も芳(かんば)しくありません。長岡次長からは、言い訳じみた長文の電報が返ってきました。もう一度「米を送れ」と命令しても、また長々とした弁解が返ってくる。旅順で伊地知参謀を叱ったときもそうですが、そういう実際の役に立たない理屈ばかりこねる人間が、児玉さんは大嫌いです。
【コメント】
児玉さんがこのあと、長岡さんを実に明解な一言で叱ります。
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