「ここは児玉に任せるしかない」とばかりに、いっさいを委(ゆだ)ねた桂太郎(かつらたろう)首相の英断も立派なら、それを引き受けた児玉源太郎の覚悟も立派です。 また当時の軍人たちも全員同じ意見であったといいます。
といっても児玉源太郎は自信満々で引き受けたわけではありませんでした。 相手は大国ロシア、陸軍だけで二百万人いるのです。 戦争に勝たなければいけないとはいえ、実力は明らかに相手が上。 このような戦争の指揮を執(と)るとは、困難すぎる役回りです。
それでも受諾したのは、ここでロシアに本気で立ち向かわなければ、日本の将来はないことを熟知していたからでしょう。そもそも日清講和条約(下関(しものせき)条約)で遼東(りょうとう)半島を租借地(そしゃくち)としたにもかかわらず、日本はロシアが独・仏を引き込んで圧力をかけてきたいわゆる三国干渉に屈してその権利を手放し、それ以来、日本は鬱憤(うっぷん)を募(つの)らせていたのです。
さらにロシアは、一九〇〇年に起きた義和団(ぎわだん)事件の際に十五万の兵を満州に送り、事件後も撤兵せずに、満州支配と朝鮮進出という計画に着手し始めました。 これに対して日本政府は何度もロシアとの交渉を試みましたが、妥協点を見出せずに決裂。ついに、開戦に踏み切ったわけです。
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